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世界でスキルを発揮し、Vallhona C3 コンペティション(2018 年)でも優勝した青木裕介さんが日本に帰 国しました。世界的なペストリーチャンピオンの発祥の地で、新たな挑戦が始まります。
1.キャリアの始まりは?
京都の製菓学校を卒業後、パティスリー「Petit Point」(京都)で働きながら、フランスのペストリー、タルト、 ケーキ、ヴィエノワズリーの基礎を学びました。その後、東京のホテルに転職する機会がありました。そこでは、ウエ ディングケーキ、チョコレート、アイスクリーム、レストランのデザートの作り方を学び始めました。 2007 年にリッツ カールトン東京のオープニングチームに加わり、チョコレート製造チームで働き、ショップやレストランへのボンボンや チョコレート装飾を作りました。その後、国際的なパティシエになりたかったので、海外でパティシエとして働き始め ました。トロント(カナダ)からパリ(フランス)、ドーハ(カタール)、バリ(インドネシア)まで、リッツカールトン
やフォーシーズンズなどの高級ホテルでの 10 年間で経験した創造力やグローバルな考え方は、私の故郷で新 たな道を始めるきっかけとなりました。特に MOF の Stéphane Glacier 氏は私にこのことを理解させてくれまし た。「今こそ自分自身に挑戦し、日本人ゲストの非常に高い需要に答える時だ」と。
2. 現在フォーシーズンズホテル東京大手町でエグゼクティブパティシエとしてペストリープログラムを
監督されていますが、子供の頃からこのような仕事を夢見ていましたか?
子供の頃、私はいつも家で母の料理を見ていて、チャンスがあれば手伝っていました。キッチンにいるのはとても
自然なことで楽しいことでしたので、高校を卒業してから京都の製菓学校に入学することにしました。実践的な スキルを身につけたかったので。そこで私はすぐにペストリーアートが好きになりました。精密さと繊細さが必要とさ れる、ケーキとタルトの装飾が大好きで私のお気に入りの作業でしたので、私はパティシエになることにしました。 幸いなことに、フランスでペストリーを学んだ後に祖国の日本に合わせて近代化した一流の日本人シェフがかな りいます。私たちは日本の完璧さと職人の技に非常に重要視しています。日本の文化では、誰かの場所を訪 れるときに贈り物(「おみやげ」)を持参します。私たちは海外で最善を尽くし、私たちの誇り高い姿勢を、高 水準のペストリー技術のパッケージとともに日本に持ち帰らなければなりません。
3. 日本のペストリーが世界のトップレベルにある理由がわかります。では、FROZEN ART はどうでしょう か?
私がイタリアにいたとき、ジェラートとフローズンデザートがイタリアの方々にとって(文化的にも)本当の御馳走 であることを発見しました。誰もが切望し、ほとんど毎日食べています。日本人はフローズンケーキやフローズンデ ザートにあまり慣れていませんが、子供の頃はアイスクリーム(またはジェラート)をたくさん食べます。 最も人気のあるグラスデザート(日本では「パフェ」と呼びます)は、最も人気のあるデザートで季節のフルーツ を使用したジェラートとシャーベットでさまざまな層のテクスチャーを楽しみます。1 つのグラスにすべてを詰め込み ますからね。
4.パフェ...